岩倉使節団はなぜ行けたのか

 明治4年の大きな出来事として岩倉使節団がありますが、なぜ出来たかが不思議です。

 明治期の不平等条約の改正が当時の大問題だったというのは私は最近になって理解できたのですが、大問題だとしても政権内の大物の岩倉、木戸、大久保たちはよく長期海外出張に出掛けたなと思っています。国内体制の整備だって膨大な仕事があってどう作り上げるかは岩倉らも気になると思うし、新政権というのは兎角内紛が起こりがちですし。
 西郷と大久保は親友だという事ですが西郷とはその先征韓論で対立して、結局野に下って戦争まで起こす訳ですから、任せきれるという状況がどうしても理解できないのです。

 ということで、西郷隆盛の人柄で説明するには説得力がないように感じ、理由を知りたいなと思っています。

 確かに江戸幕府はロシアともきわどいやり取りをやっていたようですし、アヘン戦争もありましたから、新政府にとっても国防が重大問題でありそのため外国の状況を正しく知る事や国際親善を図ることは大切だったことは分かります。また津田梅子、山川捨松といった有能な人材を連れて留学させているのも大きな成果だと思います。使節団が条約改正は全然駄目であってもトータルに大変な成果を上げたのは間違いないことです。
 それにしても帰国してすぐ征韓論論争があり明治六年の政変もあり、結局は西南戦争が起こる訳ですから、よく長期海外出張に行けた/出せたなと不思議に思っています。

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